2007/07/30

ファイト一発!

◆ インターンシップ ◆

大正製薬の1Dayインターンシップに行ってきた。

初インターンシップ。

内容は、就職と会社についての考え方、会社の紹介、マーケティングについての講義、リポビタンDとリポビタンFineのマーケティングの紹介、ALFEのマーケティングの紹介、ワークショップ(ALFEの売り上げを伸ばす為のポスター作り)。

1Dayだからか、確かに内容は濃いが、詰め切れてない印象。

特にマーケティング全般についての講義は、早足過ぎて咀嚼しきれない。

と言うか、そこを詳しく聞きたい人は3Dayにも参加してくださいとのこと。

しないけど。

ただ、リポビタンシリーズのマーケティングについてはラベルデザインから詳しく聞けたので、そこそこ満足。

「業界選び→会社選びから、共感できる会社選びへ」

考えさせられた。

気が向けば、明日にでも詳細レポート載せる予定。

お経は音楽だ

法事があった。

読経にリズムと抑揚があった。

詩から生まれる音楽とは、こういうことか。

◆ らしさ ◆

Coke + iTunes

駅でポスターを大量に見かけるので、書こうと思ってたら忘れてた。

7月16日から9月30日の77日間、毎日2万5,000曲、合計192万5,000曲をプレゼント、という太っ腹企画。

やっぱりこういうのがコカコーラらしくていいよね、と個人的に思う。

キャンペーンCMソングを担当しているRIP SLYMEも個人的に好きだし。

ちなみに、シールをめくって裏にあるシリアルナンバーで抽選と言う形なのだが、これで当たった試しがない。

しかし、今回は当選者の数から見ていけそうな気がする。

あ、これってもしかして、まんまと策略に掛かってる?(笑)

2007/07/28

東京レポートその5

やっと最後の東京レポートです。

◆ ケイゴ、世界が広がる ◆

さて、三コマ目。

パネリストは山崎隆明氏、山本高史氏、小西利行氏。

別の講義に箭内道彦氏が出ていたので、どちらにしようか非常に迷った。

しかし、山崎氏のほうはテーマが「書く力」と言うことで、私はコピーのことに興味があったので、こっちにした。

山崎氏といえば、ホットペッパーとかキンチョーとか、私が好きなCMを作る人である。

関西人だし、さぞかし面白い人なのだろうと思って期待していたのだが、ところがどっこい、非常に真面目で静かな方だった。

正直、がっかりした。

講義自体も、なんだが三人が妙にかみ合わない感じで、あまり盛り上がらないまま進んでいった。

しかし後半、言葉にまつわるテーマごとに三人が回答していくコーナーになると、とたんに面白くなった。

三人の言葉の捉え方、扱い方などが非常に興味深かった。

そして何より、言葉を大切にしているということが非常に良く伝わってきた。

オープニングディスカッションのテーマも言葉に関するものだったが(東京レポートその1参照)、そのときと同じことがここでも聞かれたのが印象深かった。

山本氏の「昔は詩から音をつくっていたが、今は音から詩をつくる」というのと、山崎氏や小西氏の「コピーはまず手で書く」という二点である。

どちらも、言葉軽視の風潮を嘆いての発言である。

私は、言葉は本体肉体的なものであると考える。

それが最近は、非肉体的になっていると考える。

どういうことかと言うと、言葉と言うのは、人から何らかの形で、声に出すとか文字にするとか、外部に発せられることで初めてその存在を認められる。

そのとき、必然的にその人の声や字の調子・抑揚が言葉にその本来持つ意味以上の意味を与えるのだ。

言葉と肉体は一体であった。

だが、時代が進むにつれ、言葉が肉体から離れていった。

端的に言うと、書く量が減った。

更には、ワープロ技術の進歩で書くこと自体の必要性も薄らいでいった。

そうなると、言葉はその本来もつ意味以上でも以下でもなくなる。

「MS ゴシック,10pt」などと言うように規定された言葉は美しくない。

なぜ、手紙がまだ愛されるのか。なぜ、手紙はワードではなく手で書くのか。

それも、ここにあるのだと思う。

肉体的な言葉には、その奥に書き手の人格が現れる。

だが、手で書かれた文字がマスで発信されることは少ない。

CMにしろポスターにしろ、大抵のコピーは活字である。

では、活字の何が人の心を動かすのだろうか。

それは、肉体的な言葉に他ならない。

コピーだって、詩だって、小説だって、活字であっても、肉体的な言葉である限り、多くの心を動かすのだ。

肉体的な言葉は、たとえ活字になっても、元の肉体を内包している。

言葉は誰でも操れるけども、それを使いこなせる人が一握りなのも、ここにあると思う。

大切にしたい。


さてさて、講義も終わって大満足のわたしは新国立美術館に行こうとした。

佐藤可士和士がデザインしたロゴをこの目で見たかったのだ。

表参道から歩いていこうとしたら迷子になって何故か渋谷にたどり着いたのは、ここだけの秘密である。

すでに閉館時刻を過ぎていたし、帰りのバスの時間もあったので、今回は断念することにした。

また、機会があるだろう。

お土産に東京ばな奈と東京ラスクとバナナを買って、帰阪した。



さて、5回(番外も含めれば6回)に渡った東京レポートも今回で最後であるが、得たことを一つ挙げるとすれば、それは、違う世界を知ることが出来たことである。

まず、社会と言う世界を垣間見た。

そして、東京と言う世界に圧倒された。

最後に、プロの世界に触れることが出来た。

どれも、私が知らなかった(知っていると思っていた)世界である。

今まで、どれだけ狭い世界で生きてきたかを思い知らされた。

全ての世界を知ることは出来ないかもしれない。

しかし、できるだけ沢山の世界を知りたいと思う。

東京に行って、良かった。

予想外に金は飛んだけど(笑)

2007/07/26

花火は体全体で感じる芸術である

天神さんに行ってきた。

◆ こちらの商品は全てタダとなっております ◆

サンプル・ラボ

地下食料品売り場の試食品に目がない者としては、非常に嬉しい。

人目を気にせず、サンプルをいただけるのだから(笑)

入会金300円と年間フリーパス1000円を払えば、1日10個までなら持ち帰り可能。

しかも、ドラッグストア並みの品揃え。

後でアンケートに答えなければならないみたいであるが、それは提供側のことを考えれば当然のことだろう。

消費者もおいしいし、提供者もおいしい。

建物のデザインもすばらしいので、必ずや新しいビジネスモデルとして成功を収めるであろう。

早く大阪に出店して欲しいものである。


◆ 鏡よ鏡、鏡さん ◆

参院選選挙が近づいている。

民主党のマニフェストを読んでみたのだが、あれしますとかこれしますとか、こんなの俺でも書けるよ見たいな内容で、少しがっかりした。

マニフェストって、もうちょっと具体的な数値とか盛り込むもんじゃなかったの?

ところで、この時期なると見かけるのが、駅の広告スペースに取り付けられた鏡。

「主役はあなた(だったっけ。記憶が曖昧)」とあるのだが、鏡(と言うよりかは薄いアルミ板みたいなもの)がゆがんでいるで、映る像もゆがんでいる。

こんなゆがんだ世界を見せられては、たまったものではない。

「今の日本はゆがんでいる」くらいのコピーなら納得できるのに、これでは、「結局ゆがんでいるのは主役であるあなたです」みたいに見えてしまう。

選挙と広告の関係は以前から議論されているとは思うが、やっぱり政治や利権が絡むとダメになってしまうのかね。

今日は、今からレポートを3つ仕上げなければならないので、ここまでにしておく。

2007/07/24

東京レポートその4

◆ 大阪人、笑いを語るの巻 ◆

東京最終日。

よく晴れる。すばらしい。

この日は、書く院大学のメインである、各界実力派による講義。

できれば全て見たい勢いだったが、それは出来ないので、泣く泣く絞る。


1コマ目は、澤本嘉光氏、高崎卓馬氏、福里真一氏、井村光明氏による講義。

ワタシの好きなCMプランナーばかりである。感動した。

何か全体的に低めの妙なテンションだったが(一番後輩の井村氏が盛り上げようと奮闘してた笑)、それはそれで楽しかった。福里氏のもそもそっとした鋭いツッコミとか。

内容としては、怒られはするが誉められることは決してないというCMプランナーの微妙な立ち位置を考慮して、お互いの作品を褒めちぎりあうという「非常に気持ち悪い(福里氏談)」内容。

それに絡めて、仕事内容、仕事への取り組み方、発想の仕方等々実務的なレベルでの話を沢山してくださった。

あと、美大出身の美的センスと一般人の美的センスとの差に悩みながらも、「生理的に美しい」画を如何に撮ろうかと奮闘しておられる風であった。

最後にCM作りおいて大事なことは、それぞれ、「ひたすらシュミレーション(澤本氏)」、「達成すべき課題(宿題)を課すこと(高崎氏)」、「得意なことを見つけること(福里氏)」、「理屈付け(井村氏)」であった。

センスでどうにかできるものではない。


2コマ目は、川崎徹氏、黒田秀樹氏、中島信也氏による漫談講義。

こちらは、先ず黒田・中島両氏のCMを年代別に見て行き、それに対して川崎氏がコメントする。そして、黒田・中島両氏が選ぶ川崎氏のCMトップ10を流した。

黒田・中島両氏の絶妙な掛け合いのもと、講義は軽快に進められ、合間合間に川崎氏が本質を突いた鋭いコメントをしていく感じ。

この日受けた3つの講義の中で、全てにおいて一番レベルが高い講義であった。

川崎氏曰く、「表現に奥行きがない、商品だけを語っているのが、まさに広告である」と。

余計な奥行きを加えない、と言うのはシンプルであるが、それゆえにかなり難しいことであると考える。

しかし、黒田・中島両氏のCM(先ほどから「作品」と言う言葉を使わないのは、川崎氏がそう仰っていたからである)はどちらも、それに当てはまると川崎氏は評価していた。

面白いCMは、何時見ても面白いのである。

川崎氏のCMもそうであった。

今の学生から笑いを取れるような1~20年前のCMが、果たしてどれほどあるだろうか。

川崎氏は、「広告は現在進行形、どれだけ『今』と付き合うかが大切」と仰っていたが、それだけだったらその一瞬にしか通用しない。

後世に残るようなCMと、そうでないCMとの違いは何か。

私は、「笑い」が一つの要素にあると考えた。

それも、流行の笑いではなくて、人類の奥底で一つの潮流となって流れているような、本質的な笑いである。

もう一つ言うなら、大笑いするようなものではなくて、思わずクスクスっとするようなものである。

川崎氏のCMもそうであった。

クスクス笑いは、ある意味嘲笑と似ている。安心感を与えるのである。

そして、クスクス笑いは不意打ちで来る。身構えていたら、クスっとは笑えない。

それに、大笑いはその一瞬で消えるが、クスクス笑いは後で思い出して、再び笑う。

それは、戒めの意味でもある。

例えば、バナナの皮で滑った人を見て、思わずクスっと笑う。

それは、何気ない日常におけるいわば潤いである。

このとき大笑いするような人は、単なる馬鹿である。

そして、後にその光景を思い出して、またクスっと笑う。

それは、自分もああならないように気をつけようと言う戒めであるのだ。

しかも、繰り返すことによって、より強く印象に残る。

まあ、ハプニングにしても、例えば学校の中で起こったことなどはクラス中で大笑いするかもしれない。

しかし、それは「クラス」と言う装置によって増幅されたクスクス笑いであると考えれば、問題ない。

不意打ち・嘲笑・戒めと言う意味では、同じである。

そこで、広告である。

広告は、ただその商品を褒めちぎるだけでは成立し得ない。

そんな広告は、いわゆる面白くない広告である。

何かしらの批評・批判が必要である。

それを見つけるのが、「現在進行形」であり、「『今』と付き合う」ことである。

しかし、その批評・批判が人間や社会の本質を捉えるものであったとき、それは「今」だけでとどまるのではなく、時間的に普遍的なものになる。

(そういう意味では、appleの「1984」などのように笑いを伴わない批判・批評であっても、強く後世に残る。笑いが「一つの要素」といったのはここにある。笑いが全てではない)

だから、川崎氏のCMは「現在進行形」かつ「『今』と付き合う」ものでありながら、現代の学生にも受け入れられるのだ。

少し論の展開的に厳しいところもあったが、何とか結論まで持っていけた。

今日は、ここまで。

恐らく次でラストである。まだ続くのかよ笑

2007/07/22

東京レポート番外編

博報堂インターンで書類通過した人のESを見た。

そりゃあ、無理だわ。

◆ うちの父親の頭も読み取れるのか ◆

カラーコード

知らんかった。というか、あんまり見かけないよね。

というか、これじゃ二次元バーコードだと気付かないんじゃない?

QRコードは良く見かけるし、利用もするけど。それは目立つからなわけで。

まあ、あれはあれで無愛想だって言うのもあるかもしれないけど。

デザインバーコード見たいな例もあるわけで。

ちなみに、このサイトのコメント欄が結構いいトコついてておもしろい。


◆ 大阪人、夜の東京を彷徨うの巻 ◆

すみませんでした。再開です。けど、時間軸はあまり進みません。

前回、オープニングディスカッションのことを書いたのですが、あまりの鬱加減に途中で放棄してしまったのです。

そこで、今回は番外編として、その中で印象に残った言葉を紹介していこうと思います。

先ずは、秋元康氏から。

「あまり取材はしない」

「良い脚本家は、なんでもないシーンでも一行で終わらせない」

「最大公約数の時代から、最小公倍数の時代へと移り変わっているように思う」

「何か書きたい『核』を見つけることと、『肌の感覚』を磨くことが大事」

「今年の秋には、AKB48が皆をびっくりさせるよ」

「親父ギャグは、言葉と流行を知らないと言えない」

次に、林真理子氏。

「私も余り取材はしないが、女性雑誌の投稿コーナーはよく読むし、今の女性心理が見えてくる」

「(ケータイ小説が流行っているのは)本に対する咀嚼力のなさの表れではないか」

「私は、流行と、本当に自分が書きたいものをバランスよく持つようにしている」

「文章力があれば、大抵の世界で通用すると思う」

そして、眞木準氏。

「(言葉を探すのは)素潜りして、銛を持って突きに行く感覚」

「今は音から詩を作るが、昔は詩から音を作った。聖書にもそうある」

「今は、コピーに関しては、言文一緒くた。聞き言葉へと移っている」

「秋元さんや林さんみたいに、人間の負の部分を掘り下げることが出来るなどの能力がなければ、プロにはなれない」

「アンテナ能力を磨くことも大事」

最後に、井口典夫氏。

「自分の内面を出せば、それについていく時代」

「時代が人を作る時代から、人が時代を作る時代へ。考える人になって欲しい」

「活躍の場は山ほどあるが、それは自分で作らなければならない」


実は、このときのやり取りは一応ノート(俺帳)にとってあって、これもそれを見ながら書いてる。

俺帳は、ホテルに戻ってから、夜にふらっと買いに行ったもの。

メモじゃないけど、こういうの専用のノートを作ろうと急に思い立って。

で、途中、東大の駒場キャンパスに潜入して東大生の気分を味わってみたり、電柱の上のヒーロー(電気屋さん)を見物したりしながら、一時間ほど夜の駒場を徘徊した。

結局、ホテルから徒歩1分のローソンでノートを買うことにし、レジ待ちの間にレジ前の商品に手を出すという、消費者心理にはまりきった行動を起こしてみる。

部屋に帰ってからは、久し振りにテレビを見た。

「報道特集」と「新日曜美術館」。

偶然、どちらも戦争関連だった。

さあそろそろ寝ようかと言うときに、「東京マスメディア会議」なるものが始まって、ますます寝られなくなる。

テーマは「雑誌」。

様々なこだわり雑誌とその編集長が登場した。

好きなことを貫ける人は、やはりすばらしいと思った。

世間から見たらただの阿呆な子供だろうけども。

僕は、馬鹿にはなりたくないが、阿呆のままでいたいと思う。

2007/07/21

何にもいいと思えない

一人でいるとますますダメになりそうである。

◆ かわいそうに ◆

15 Unfortunately Placed Ads

直訳して、「15個の、かわいそうな場所の広告たち」。

こんなところに置かれたばっかりに。

しかし、なかなか秀逸である。


◆ 天下統一 ◆

ケータイ国盗り合戦

ケータイの位置情報を使って、実際にその場に行くことで「各国」を「統一」していく。

もたもたしているうちに、もう始まっていた。

そういえば、山手線の吊り広告にあった気がする。