NHKはES落ち。
中途半端にここだけ報道ディレクター志望にしたのが良くなかったか。
NHKでワンセグをやる理由がどうしても見つからなかった。
◆ 吃音と就職活動 ◆
2,3日前からニコニコ動画でScatmanが頻繁に取り上げられ、一時は総合ランキング1位にもなった。
今でも総合ランキング上位に位置している。
この歌自体は知っていたが、恥ずかしながら彼のことは知らなかった。
コメントやタグを見てくれたら分かると思うが、彼は吃音である。
吃音と言うのは、まあ単純にいうと吃(ども)って上手く喋れないことである。
(ちなみに吃音でも普通に歌える)
だが、正直な感想として、吃音のことはおそらく世間ではほとんど認知されていない。
だから、この動画で吃音が広く認知される機会になれば、喜ばしことだと考えている(幸いみんな、Scatmanのすばらしい歌詞のおかげで吃音を好意的に受け止めているようだ)。
僕も吃音だが、「吃音」という単語を家族以外から聞いたのは、以前NHKのプロデューサーに言い当てられたときだけだ。
それは病気か障害か、はたまたどちらでもないのか、その区別がつきにくいところにあると思う。
Scatmanが言うように、誰にだってどもる時はある。
だがそれは、例えばプロポーズのときに「ぼ、ぼぼ、ぼくと、けっっこんしてください!」というセリフがその男性の心情をよく表しているように(実際にそうなるかは置いといて)、(極度の)緊張状態にあるときにどもると認識されているように思う。
では、僕が常に緊張しているのかと言うと決してそうではなく、家族や友人と喋るときにだってどもることはままある。
しかし、いわゆる「噛む」と言う行為が緊張状態でないときのどもりであると考えれば、吃音とそうでないものの違いと言うのは、「頻度」と「程度」でしか判別できない。
だから、その境界が非常に曖昧で、自分で意識しているかどうかが吃音とそうでない者の分かれ目ともいえよう。
また、研究が進んでおらず正確な原因がわからないのも厄介なところであるが、一説によると、トラウマによるものらしい。
幼児の吃音は成人のそれより多いらしく、それは自らが吃音だということを意識しないまま自然に治るからだと言う。
しかし、治らなかった人たちはそのまま小学校へ進学し、ある日こう言われるのである。
「○○くんって、しゃべりかたヘンだよね」
私も実際、小学校1年生のときに階段で、同級生の女の子に言われたことを鮮明に覚えている。
そこから私の吃音人生は始まるのだが、不思議と幼稚園のときにどもっていた記憶はない。
自らを吃音と意識するかしないかが、吃音者とそうで無い人の分かれ目だという理由である。
こういう経緯で、「しゃべるのがいや」という気持ちが生まれトラウマとなり、喋ろうとするとそのトラウマが邪魔をする、という理屈だ。
だから、私は似たようなシーンでよく症状が出る。
受付や自己紹介の際に自分の名前が言えないのは、もうほんと勘弁してほしい。
受付票の提出だけで済むときは、心底ホッとする。
正直、電話口で「もしもし」と言うのも多少心許ない。
最近はそうでもないし、本当かと疑われるかもしれないが、かつては名前を呼ばれて「はい」という返事もできなかった。
自分の番が近づくと緊張してしまうのだ。
だが、最近はそうでもないと書いたように、治る部分もある。
実際、近所には完治した人もいるし、小学校の先生をしている人もいる。
だが、私はもう完治しないと思っている。
むしろ、吃音を受け入れようとしている。
している、と書いたのは、まだどこかで吃音を恥ずかしいと思っている自分もいるからだ。
面接の時だって、初めは吃音であることを言わずに受けてきた。
隠したい、と言う気持ちと同時に、「吃音だからうまくいかなかった…」と言う逃げ道を作っていたかったのかもしれない。
だが、連れの言葉がきっかけで、テレビ東京の面接のときからは自己紹介(PR)のときに必ず、「私は吃音で、上手く言葉を話すことが出来ません。中学高校時代はこのことで悩み、人と接することを極力避けてきました」と言うようにしている。
それは、自分を受け入れると同時に、おそらく吃音を知らないであろう面接官に、私のことを良く知ってもらう一番の方法だと考え方を変えたからである。
そして、テレビ東京と同じように自己PRした関西テレビは、一次面接を通過した。
これは、たとえ吃音でたどたどしくても面接は受かる、という大きな自信になった。
それに、この面接は2対2だったのだが、隣にいた人からは「初めはガチガチに緊張してたみたいやけど、途中からは普通やったで」と言われた。
先日のDACの面接(結果待ち…ドキドキ)でも、自己PRの後、「いやいや、普通に喋れてますよ」とのお言葉。
吃音だと告白しなかった面接でも、実は面接官から見れば、緊張しまくってる一就活生にしか見えなかったのかもしれない。
だが、吃音だと知らせるかどうかで相手の印象も大きく異なると思うし、吃音が仕事に悪影響を及ぼすと考えれば即切られるだろう。
だが、逆に言うと、吃音でも君はうちで働いてほしい。それに、君が思ってるほどひどくないよ。
と言う人事(企業)と出会える可能性がうんと上がるのだ。
それに、今の私は、決して吃音を言い訳にしたくない。
確かに、コミュニケーションが大事といわれる中で普通に喋ることができない(ときがある)のは、不利だと思う。
それは、入社後も同じで、きっと上手く喋れなくて歯痒い思いをすることが多いだろう。
だけど、それが嫌で逃げてたら、出来ることはホント数少なくなってしまう。
っていうか、この社会は喋れることを前提としているので、手話や筆談などの場合を除いて、否が応にも喋らなくてはならない。
社会に出ようとする限り、逃げられないのだ。
僕は、自分から自分の可能性は狭める気は毛頭無い。
中学高校で散々狭めてきたので、もううんざりだ。
これを見ている人の中にも吃音の人やその親御さんがいるかもしれないので、私が就職して、自分の名前すらろくに言えないような吃音でも、社会に出て行けるということを立証したい。
多少大袈裟に聞こえるかもしれないが、常に人とのコミュニケーションに対して不安を抱いて生きている(と言っても過言ではない)吃音者たちにとって、微力ながらも助けになれば幸いである。
最後に、同じくニコニコ動画から。
吃音持ちがぐだぐだ喋ってる動画
彼女に、そして彼女を応援しているユーザーに、敬意を表します。
p.s.
予想外に熱く語ってしまったので、今日紹介する予定だった朝日新聞の「美ら海水族館」と「動く新聞広告」は明日ご紹介いたします。
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