2007/07/18

東京レポートその2

◆ 学生、社会を知り打ちひしがれるの巻 ◆

学士会館に着いて、先に来ていた研究室の方々とご挨拶。

「三回生です」と告げると、みんなは「えらいね~」とお世辞を言ってくれた。

初めの方は受付及び大学グッズ即販会を手伝って、てんやわんやだった。

暫くして会場に入ると、いきなり知らないOBに絡まれる。

日本の現状について、表面から見てるだけじゃダメだ、歴史を含めた背景を知らにゃいかんと、なるほど納得なお話をされた。

そして、「オススメの本を紹介してやる、メモ持ってるか?」と聞かれ、「あ、持ってないです」と答えると、「そりゃあダメだ。メモくらい持っとかんと」と怒られた。

結局、書名(『赤い盾』と言う本だった)を書いたメモをもらったのだが、これからはメモを持ち歩く癖をつけようと思う。

そして、ついに教授から電通の方を紹介される。

その方は営業をなさっていて、色々なお話を伺った。

広告はドメスティックなものであること。だから、カンヌで賞を取ったからといって日本でも良い広告とは言えないということ。そもそも大事なのは賞を取れるかどうかではなく(それを基準にしている人もいるが)、自分の納得できる広告を作れるかどうかだということ。消費が伸び悩む日本国内の広告産業は斜陽であること。インターネット広告が伸びていると言っても、それはマス広告の減少分を埋め合わせるに過ぎないこと。一方、中国市場は成長が期待できるので、地元企業と提携した戦略を展開中であること。営業と言う仕事はクライアントと制作側の間を取り繕い、依頼からプレゼンまでやる、チームのまとめ役みたいなものだということ。などなど。

しかし、運悪く話の途中で「文学部の変遷」みたいなスライドが流れ出して、気付いたら他の人と話してた。

その後も受付の手伝いで忙しくなりなかなか話す時間がなかったのだが、二次会にも来ると教授が言ってたので、そのときに話すことにした。

しかし、二次会には来なかった。

先輩から「名刺もらったか?」と聞かれ、そのとき初めて、名刺をもらい忘れたのに気が付いた。

というか、名詞と言う概念がすっぽり抜け落ちていた。

名刺をもらわなければ何の意味もないことを知った。

大きな失態である。かなり凹んだ。

しかし、現時点でコネもないのに現役電通社員(しかも部長である)と接触できた三回生は恐らく私だけだ。そして、実際に会って話をすることも出来たし、教授のツテでまた連絡は取れるはずだ。それに、今回のことは教訓として今後に活かしていけばいい。

と、かなり都合のいいように解釈した。と言うか、そうしなければ立ち直れそうになかった。


二次会は研究室の同窓会だったのだが、年の近い方が多くて、そこでも色々な話を聞けた。

営業、特に広告は成功すればいいけど、失敗したら「広告費は払わない」と言われる場合もあるかも知れない。その時は土下座までしなければならないかもしれない。その覚悟はあるのか?

と、いきなりプレッシャーをかけられ潰されかけた。

しかし、実際にそういう圧迫面接もあるらしいし、その先輩(〒)はそのときいかにその業界が好きかを10分くらい熱く語ったらしい。

つまり、どれだけその業界を好きでいられるかが大切だということを学んだ。

他にも、実際に面接をした先輩の話や、マスコミ目指す人が集まるゼミの話とかを聞けた。


ホテルへ行く際、色々あってタクシーに乗った。

関西弁だったからか、「お客さん、大阪?」と聞かれ、適当に相槌を打った。

スーツだったので社会人と思われたらしく、「大阪はどうですか?」と聞かれた。

いちいち訂正するのも面倒なので、「まあ…、良くはないですねぇ」と適当に答えた。

「東京は初めて?」「まあ、そうですねえ」

すると、その運転手は自分の生い立ちを急に語り始めた。

九州出身で、その後大阪に転勤して三年前まで大阪で働いていたが企業が倒産し、大阪で新しい働き口も見つからず、東京に来たらしい。

その運転手は、大阪にいたときは大して不況を感じなかったらしいが、あるとき、建設用クレーンが立ち並ぶ東京の風景をテレビで見て、こりゃ大阪はダメだと感じたらしい。

つまり、広い視野で物事を見ろと言うことなのだろう。

大阪しか知らない私に対する忠告だったのだろう。

「大阪じゃいかに安いかが基準でしょ?東京じゃ逆に、いかに高いかが基準になる。その違いかもしれませんねえ。」

この言葉の意味する所を詳しくは聞けなかったが、何かのヒントが隠されているかもしれない。後で考察することにしよう。

「私の後ろで、片手で10億とか動かしてやがるんですよ。私の存在は目に入らないんですかねえ。」

日本社会の歪みを垣間見た気がした。

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